5月3日は、憲法記念日でしたね。
私は、憲法についていろいろ考えましたが、うまくまとまらなかったり、どうも知識が足りなかったり、いろいろ疑問があるので、もっと憲法のことを知ろう、改めて憲法について勉強しようと思いました。

それで、まず、憲九条の会の岩波ブックレット、「憲法九条、いまこそ旬」を通して読みました。

いろいろと、重要なことが分かったので載せます。
日本国憲法は何をモデルにして、誰の手によって、どうやって作られたか。どういう経緯で作られたかということなどをメインにまとめようと思います。

日本国憲法の九条のモデルになったのが、1928年の、戦争放棄に関する条約「パリ不戦条約」です。
当時日本が国際連盟の常任理事国だったときに、その戦争放棄の条約作成に参加し働いたのが日本の幣原(しではら)喜重郎という当時の外務大臣です。
当時四〇ヶ国以上の国際連盟の加盟国の総意が戦争放棄に関する条約パリ不戦条約になりました。

そして、そのパリ不戦条約の条文がそっくりそのまま、九条に移ってきているそうです。
だから、日本国憲法の内容は日本やアメリカだけが考えたわけでもなく、日本も含めた世界の四〇カ国が一緒に考え、そして認めた条約をもとにした憲法だということです。
単にアメリカの押し付けと片付けられるものではないと思います。

押し付け論についての矛盾は、前回も書きました。「押し付ける」と言う言葉は、いやなものを無理やりくれることを言いますが、日本国憲法とくに憲法九条は大変尊い貴重なものです。それを、アメリカがただポンとくれたわけではないし、日本人、アメリカ人、そしてもとになったパリ不戦条約は世界の人々が創ったものですそういったものが集まっていろんな想いが込められた貴重なものです。大規模な戦争直後という背景も関係しています。
そして当時歓迎されて受け入れられました。
だから、押し付けたとは言えないと思います。

また、この幣原喜重郎という人物は、第二次世界大戦後にも登場し、日本国憲法に大きく関わっています。
幣原喜重郎はマッカーサーに会い、「すべての戦争を否定したい、そのかたちで憲法を考えたい」という話をしたそうです。そのとき、マッカーサーは「分かった」と応じました。
マッカーサーでさえが、とにかくこの戦争を最後にしたいという気持ちがあって、そういう思いがこもったものとして日本国憲法ができあがったとわれわれは受け止める必要があるとかかれています。

第二次世界大戦の後半、多くの日本人は、日本は勝てるとは思っていなかったようです。
とにかく早く終わってほしいと思っていた人が多いようです。
終戦を望んでいたのは、日本人だけではなく、多くのアメリカ人もだったといいます。
もう沢山の人をめちゃくちゃに殺して、もうこりごりだ、と最後の戦争にしたいという気持ちが強くあったそうです。そういうアメリカ人の気持ちは、いろんなものに書かれているそうです。

だから、この憲法をつくることに関わったアメリカ人は、アメリカ人としてではなく、人として、もう戦争を終わらせたい一人として書いていたということが言える、ということが書かれてました。

また、日本の民主主義とアメリカの民主主義の違うものです。
アメリカの民主主義は、「民主主義」と「自由」です。
第二次世界大戦を経験した日本は、「民主主義」と「平和主義」もくっつけて、結合させました。
それは、戦争の反省と強い後悔、もう二度と戦争をおこさない国になりたいと強く願っていたからだと思います。
そして、それは平和憲法になり、そのシンボルが憲法九条です。
日本は独特の、固有の民主主義と、平和憲法を持っているといえると思います。

日本国憲法、憲法九条は、世界にも通用する憲法だと思います。

これからは、世界は、軍縮の方向に向かっていくと思います。
過去の悲惨な戦争の歴史などを見ると、軍拡は古い考え方、軍縮こそが新しい考え方になっていくと思います。
ヒロシマナガサキの体験、そして、平和憲法を持っている日本だからこそ、軍縮にも大きな説得力を与えると思います。
実際に、国連での軍縮を中心に力を入れて活躍している日本の国連軍縮委員会委員もいます。猪口邦子さんという女性です。このことは、そのうち詳しく書きたいと思います

平和の大切さをおし広め、軍縮の中心となるような日本になっていってほしいし、だからこそ、平和憲法、憲法九条が重要な役割を果たしていくことでしょう。
それを、安易に変えてしまうのは実に「もったいない」ことだと思います。
憲法は国民が主権なのだから、これから、もっと国民の憲法への意識が高まっていくといいと思います。

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